中坊進二が京都で凧揚げをします


正月と言えば、凧揚げです。
最近は電柱の数が増えて凧揚げがしにくくなりましたが、
電柱を地中に埋めるなどの取り組みにより、
京都では凧揚げがしやすい街になりつつあります。
もっとも、電柱地中化の理由は、
京都の景観を壊さないための措置で、
決して凧揚げが理由ではありませんが。

中坊進二も小学生の時にはよく凧揚げをしたものです。
凧の博物館にも行きました。
10mを越えるような超巨大な凧を数十人がかりで大空に上げる様は、
正に壮大だったと言えます。
ちなみに、タコと呼ぶのは関東の方言で、
関西ではイカと呼ぶそうですが、
京都在住の中坊進二は普通にタコと呼んでいます。
むしろ、イカなど一度も聞いたことがありません。
長崎では、ハタとも呼ぶそうです。

凧の歴史は古く、
平安時代には既に中国から日本に伝わっていたようです。
当初の凧の目的は軍事用として、狼煙の代わりだったそうです。
庶民の間で凧が流行り出したのがいつかは中坊進二には分かりませんが、
江戸時代の頃は、大凧がブームになっていました。
どれくらいの大きさかは分かりませんが、少なくとも、
武家屋敷の屋根を壊すぐらいの大きさと重量だったと言われています。
農作物にも被害を及ぼしていたので、
当時の大凧は本当に大きかったのだと思います。

また、競技用の凧もブームになっており、こちらは凧に刃を取り付けて、
相手の糸を切るなどの工夫が随所に仕込まれていたそうです。
ガラスの粉を糸に纏わせるといったこともしていたそうです。
そして、明治以降は電柱が増えてきたことにより、
凧揚げの機会は減りつつありますが、
今でも祭りや正月の楽しみとして、日本全国に浸透しています。

京都府福知山にて、日本の凧展が開催されています。
中坊進二も見に行こうと考えています。